光陰とは、自ずと衰えへと向かうものである。かつて我が師も語っていた。「運命には定まった姿はなく、観照されて初めてその輪郭を現す」と。西洋の物理学でいう「二重スリット実験」の理も、まさにこれと同じであろう。師の言葉に触れて悟りを得て以来、私は定期的に我が身を省みるようになった。それもまた、心の崩壊を食い止めるための営みなのかもしれない。
しかし、鏡に向かい自らを照らし、紅を差したところで、心からの安らぎを得ることは難しい。過ぎ去りし日々を振り返れば、常に行き届かぬ欠落ばかりが目に留まる。「本来ならもっと完璧にできたはずだ」と言い聞かせながらも、結局は自らの期待を裏切り続ける。理想と現実の両極に執着し、最後には何も得られず、胸の奥底には苦い痛みが澱のように沈んでいる。
私は次第に、自らが心に思い描いていた陰の側面――月の裏側へと向かいつつある。長い目で見れば、これもまた得難き鍛錬の機会なのかもしれない。だが、今このときに直面している苦痛は、言葉に尽くしがたい。
声を限りに歌い上げたい。天に向かって長嘯したい。芝居を観たい。舞台に立ち、芸を披露したい。一ヶ月ほど海辺を彷徨いたい。あるいは、深山幽谷の木立ちを歩き回りたい。世の事はすべからく一概に論じるべきではなく、易きから難きへと一つずつ叶えてゆけばよいのかもしれない。しかし、このような放擲や気晴らしが真の解脱をもたらすとは到底思えず、かえって自暴自棄の念を募らせるのではないかと、それだけがただ恐ろしい。
私には、もう何も分からない。
今朝、目を覚ますと、窓の外に鮮やかな朝霞が広がっていた。上着を羽織って外へ出たときには、すでに朝日は高く昇り、紅の霞は跡形もなく消え失せていた。昼と夜が交錯するあの一瞬こそが、この世で最も心奪われる時空なのだとつくづく思う。朝の目覚めの曖昧な薄明の中で、理知的かつ従容とした心を保つのは、実に容易ならざる業である。